2012年12月05日

声をあつめにゆく福岡ツアー(長崎〜福岡)【DAY3;2012.12.3】

DSC03074


旅3日目、東京へ帰る日。朝から晴天、まずは歩いて大浦天主堂へ。1865年に立てられた現存する日本最古のキリスト教建築物(爆心地から比較的離れていたため原爆での焼失は免れた)。一歩踏み入れただけで厳粛な空気になる。1549年にキリスト教が伝わってからの精神の歴史がそこにはありました。秋からずっと歌ってきたクリスマス・ソングの言葉の意味を自問自答。宗教を持たない僕にとってもクリスチャニティーと対峙する旅に。そのまま歩いてグラバー園へ。

DSC03079

DSC03083


24年前の修学旅行のときにはピンとこなかった場所だが、歳を重ねて来てみると楽しすぎる!東京小金井市にある江戸東京たてもの園に行っても「ここが自宅だったら」とか「どこに一番住みたいか」などと妄想する僕だが、グラバー邸にオルト邸、リンガー邸、ウォーカー邸と歴史的建造物がたくさん。フリーメイソンロッジのシンボルが刻まれた門などもあり興味深い。表立った歴史の裏にあるオルタナティブな流れを見る。坂本龍馬をかくまったかもしれない屋根裏部屋などもあった。



DSC03101

DSC03096


しこたま歩きまわったが、まだまだ時間はある。歩いて旧香港上海銀行長崎支店記念館へ。ここではコンサートやイベントを行えるそうで、仕様案内等をいただき来年のことを考える。古い洋館に様々な展示。長崎がいかにモダンな時代を経てきたかを知る。

そして路面電車に乗ってこの旅の大きな目的地でもある原爆資料館を目指し平和公園方面へ。路面電車の乗り降りにも一日で慣れた。運転席を見ていると自分も運転してみたくなる。並走する車やバイク、信号待ちをする市民、それを眺めている自分。




原爆資料館は小学生の頃の記憶とは全然違って、しんと静かできれいな建物のなかで、祈りや怒り、哀しみや慈しみが渦を巻くような、他のどこにもないような空間だった。印象的だったのは原爆による放射線や放射性物のこと、詳細な名称や影響などが時間と場所をさいて展示されていたこと、被曝した人に対する差別とあわせて人種間による差別についても言及されていたこと。

そこから平和記念の像を前にしばし呆然と空を眺め、永井博士の如己堂へ。小6の修学旅行で一番強烈な印象を持ったのは二畳一間の永井博士が人生を締め括った庵、如己堂だったのだ。24年ぶりの再訪。とても小ぎれいな如己堂、少し暖色を含んだ日差しがさしてマリア像に陰影をつけていた。時の流れが止まるような風景。






東洋一の協会浦上天主堂へ向かう。原爆で形なきまでに破壊され戦後に再建されたもの。その背後の目立たないところに原爆の風で吹き飛ばされた天主堂の鐘楼がそのときと同じままの形で残されている。人間の心が生んだいろいろな産物に右往左往、翻弄されてきた街。ちょうど街はクリスマスムードが盛り上がる季節、僕も今年はじめてクリスマスCDを作ったのでいつもよりクリスマスの祈りの歌を歌っているところだから、この長崎の旅の意味はとても大きい。来てよかった。




駆けこむように特急電車に乗り込み博多へ戻る。行きでは灰色に霞んだ有明海が夕日を受けてパステルオレンジになっていて、遠くに雲仙の山、噴煙がたなびく。再び1時間半ほどで博多駅に到着。博多駅の阪急で催事している五十嵐くんを驚かそうと会いにいく。「埼玉春日部から伝統的な張り子が・・・」と店内放送、五十嵐くんも頑張っているのだな。そして飛行機の時間までにカフェ・テコに顔を出そうと思ったら運悪く店休日。お世話になったのに駆け足で後にしたガッシュに改めて挨拶して、短くも濃厚な旅はおしまい。東京へ帰ります。また来年来ます、九州。




Posted by monolog at 11:47│Comments(0)│TrackBack(0) │

この記事へのトラックバックURL