
20年前、1stフルアルバム『weekend』がどれくらいのセールスになったのか、売れたのか売れなかったのか、誰かの期待に添えたのかどうなのかも知らないまま、バンドはひと時も立ち止まることはなかった。僕は曲を書き続け、次の作品へ向けたレコーディングが続いた。『weekend』が週末の風景を切り取った11篇の短編小説集とするならば、と打ち合わせで誰かが言った。あるいは発言者は僕だったかもしれない。「次は長編小説を綴るべきだ」ということで、シングルとアルバムを使って、架空の街を舞台にした物語を描くという構想が生まれたのが20年前の夏、『weekend』のレコ発ライブが終了した後だった。
僕はまず「僕たちのニューアトラス」という曲を書いた。アトラスとは天地を支え世界の隅々まで見渡すことができるギリシア神話の神のことで、地図帳のことを「Atlas」と呼ぶことからこのタイトルをつけた。「Map」の語源はラテン語の「Mappa=布地」だけど、「マッパ」はやっぱ語呂が悪い。いつからかメンバーとスタッフの間でGOMES THE HITMANのコンセプトワークは「まちづくり三部作」と呼ばれるようになり、最終的にはマキシシングル、アルバム、マキシシングルの3枚のCDで重複曲なしで大きな物語を描くことになる。登場人物、街の地図、季節とが織りなす長編小説。「街をゆく」「北風ロック」「夜に静かな独り言」、まちづくり三部作は冬の場面からスタートした。『neon, strobe..』から『weekend』までのセルフプロデュースでへとへとになったバンドは、レコーディングに新鮮な風を求め、そこに颯爽と現れた村田和人さんは主にコーラスのアイデアで僕らを奮い立たせてくれた。村田さんのビッグスマイルにバンドがどれだけ救われたことか。
休む間もなくアルバム制作もスタートする。杉真理さんと斎藤誠さんをプロデューサーに迎えることになった。プロデューサーの人選に対して具体的なイメージがあったわけではなく、僕がリクエストしたのは「年の近くない、ギターポップ界隈とは違う場所にいる音楽家」だった。杉さんと誠さんにこの時出会えたことはとても幸せなことだったと感じる。曲作りの段階からポップスの大先輩おふたりと膝を付き合わせた。誠さんはシャッフルの曲を8ビートにしたり七色のギターで歌を昇華させてくれたり、杉さんからは魔法みたいな転調を教わった。制作中のすべての時間がかけがえのないものだった。バンドも必死で手綱を掴んで離さず、僕以外のメンバー作曲によるインストゥルメンタルなどセルフプロデュース曲も充実したものになった。世紀末から21世紀をまたいだ制作期間を経て、2000年4月にリリースされた『cobblestone』には清水浩司氏による小説、小田島等氏によるガイドマップなどが付帯し、架空のサバービアを舞台にして四季を駆ける全15曲の大作となった。
『cobblestone』が完成した時点で最終章となる作品の制作も佳境となっていた。すべては同時に進行していたから目が回るような忙しさだった。長編のクライマックスとなる「maybe someday e.p.」はちょうど19年前の明日6月7日にリリースされることになる…。(続く)
