2018年07月29日

『mono』を回想する・前編【00-ism】

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7月25日にリリースになったGOMES THE HITMAN『00-ism [mono/omni/ripple] 』、2000年代に発表した3枚のアルバムにボーナストラックを詰め込んだ3枚組ボックスセット。手にされた方は楽しんでいただいているだろうか。特に『mono』という2002年作は長く廃盤状態にあったものなので初めて触れる方も多いと思うので、今日はその『mono』のことを思い出して、いろいろ書いてみたいと思います。

2001年1月に「饒舌スタッカート」というシングルをリリースした。たくさんのラジオ局でパワープレイを獲得したので初めての街を訪ねることも多かったし、レーベルスタッフの熱意もあって、「饒舌スタッカート」のプロモーションとキャンペーンは異例の長期間に渡った。リリース直後にドラマーが脱退したので、サポートドラマーを入れたりアコースティック編成にしたり様々な試みが続いた。レーベルとの契約が更新されないとの決断が下ったのが桜が散った後くらいだっただろうか。お世話になった事務所との関係も切れた(遺恨の残る辞め方をしてしまった)。僕はその頃「カゴメのリゾット」の歌唱とか北海道の日糧パンなどCM制作仕事がいくつかあったものの、バンドにとって先の予定はまったくの白紙状態だったが、7月には「情熱スタンダード」と題した下北沢CLUB Queでのワンマンが大盛況となった。個人的には客席の盛り上がり方が予想以上でびっくりしたし、“メジャー落ち”ということにすっかり意気消沈していた僕自身にとって救いと希望になった。

東京を台風が襲った9月、嵐の後で異様に艶めかしい夕焼け空が広がった11日の夜にアメリカ同時多発テロが起こった。2機目の飛行機がワールドトレードセンターにぶつかるのを僕はテレビ越しに目撃する。21世紀になったばかりなのに世界の終わりの始まりだと思ってまた鬱々とする日々。そんななかで、ライブ会場限定で販売するCDRを作ってみんなの生活費の足しに、ということで制作されたのが『SONG LIMBO vol.1 - summer falls』で、その年の10月に同じくCLUB Queで開催された「情熱スタンダード vol.2」ワンマンでリリースされた。ライブも引き続き盛況。

秋頃からニューリリースについてのミーティングが重ねられた。PARCO傘下のクアトロレーベルがバンドに興味を示してくれて、僕もクアトロから出るCDをたくさん持っていたので(クラウドベリー・ジャムとかSARAHレーベルの日本盤とか)ブランドイメージの印象も良かったし、何より自分たちの好きに作品を作っていいという条件がバンド側の考えと折り合った。ただし予算がこれまでと桁違いに少なく、これまで使っていたようなレコーディングスタジオは使えない。

当時の僕にRoland VS-880EXというマルチトラックレコーダー、そしてLINE6 PODというギターのエフェクターがもたらした制作欲はとても大きかった。たくさんの自宅デモを作った時期だったし、この小さな箱がふたつあれば何でもできると思っていた僕にとって、限定された制作環境にワクワクした、と言うと強がりが過ぎるかもしれないけれど、今までと違うことがやれる気がしたのだ。この年に行われた「GAPCツアー」という、advantage Lucy、PLECTRUM、セロファンとの合同ツアーから受けた刺激も大きかった。ステージ上での交流は藤田顕(アッキー)という2000年代のGOMES THE HITMANになくてはならないサウスポーギタリストとの出会いの場にもなる。

もうひとつ、大きな転機は僕がポチという猫と暮らし始めたことだ。2001年の11月、「饒舌スタッカート」ジャケット撮影で出会った運命の猫が僕の暮らしのなかでもパートナーとなった。このあたりの物語はほぼそのまま『猫と五つ目の季節』という私小説に書かれているが、とにかくうちにやってきたばかりのポチは怪我や病気でとても弱々しくて、アルバムの準備をしながら動物病院に通う日々が続いたので、スタッフからは来たるべき新作は『ポチの看病日記』という仮タイトルで呼ばれることになる。

これまでとまったく違う環境で、山田、堀越、高橋、須藤の4人のメンバーでの初めてのレコーディングが始まったのは2001年の終わりのことだった。(続く)



Posted by monolog at 13:59│Comments(0) │