1989年に閉店した南青山パイドパイパーハウス、1992年に佐賀から上京した僕はパイドに全然間に合わなかった世代だ。そんな僕が何の因果かメジャーデビュー以来可愛がっていただき(デビュー作『neon, strobe and flashlight』フライヤーにライナーを書いてもらった)、長門さんと音楽の話からどうでもいい話まで(ゾンビ映画とかファイヤーダンスとか)ニコニコ笑いあいながら語り合うトークショーをやっていることが嬉しい。「何の因果」と言えば、うちと長門さんのご先祖が偶然にも同じお寺に入っている頃があって、そのときにお参りにきたうちの母親と長門さんが鉢合わせするという奇跡があった。「あら音楽関係の方でいらっしゃる?うちの息子も東京で音楽ばしよるとですよ」「あら、なんていう名前で?」「ゴメスザヒットマンっていうわけわからん名前で」「えー!!山田くんのお母さん」というウソみたいな本当の話。トークは1時間近くに及んで、長門さんもいっぱいお話していただいて、ラジオみたいで楽しかったな。パイドの棚、僕のCDは最初「CITY POP」に仕分けされていたのだけど、長門さんから「山田くんはCITY POPじゃないでしょ」と異論が出て、結局今は「吉祥寺」というコーナーにイノトモちゃんやbenzo、高田渡さん、さらには楳図かずおさんのレコードと一緒に置いてあります。邦楽コーナーで地名が仕切り板になっているのはおらが街だけ。



「せっかくだからライブで何かカバーをやったら?」という提案があったのでいろいろ考えたのだけど、R.E.M.やAMERICA、The Smiths等の洋楽カバーをやるよりも今回は僕の青春期に影響を与えた邦楽を振り返るのがいいな、と思った。パイドパイパーハウスに間に合わなかった僕の、パイドなき東京での1990年代の音楽的回顧。フィッシュマンズ「気分」は今年の夏に大阪FM802で初披露、加古川でも再演した。大学時代は池袋が根城だったのでフィッシュマンズ『ORANGE』は池袋で買ったはずだ。『pale/みずいろの時代』にも「気分」同名異曲があるしGOMES THE HITMANには「オレンジ〜真実」という曲もある。『ORANGE』というアルバムの影響はとてつもなく大きかった。
長門さんも猫を飼っているので猫の話にもなった。猫と暮らしていると一日に数回は「おまえは寝てばかりでいいなあ。猫になりたいなあ」と思うのだけど、僕が「猫になりたい」という曲を書かないのはスピッツがすでに揺るぎない名曲を世に出しているからだ。スピッツの「猫になりたい」をカバーしたのはこれが初めてのこと。『空の飛び方』リリースのときにインストアトークイベントを観にいったのも『ORANGE』と同じ1994年のことだったか、トークとクイズ、じゃんけん大会があったことを憶えている。今はなき池袋WAVEだった。
サニーデイ・サービス「あじさい」は先日の新潟で新井仁さんと初めてセッションして妙に身体に馴染んだ。サニーデイのなかで一番ネオアコっぽいこの曲は当時聴いていた洋楽と絶妙にリンクしつつも歌詞世界の日本っぽさが衝撃的だった曲。サニーデイ・
サービスは立教大学出身のバンド。ここでも池袋というキーワードが浮上する。これらの90’sクラシックに触れて懐かしいと思った人も初めて聴いて新鮮に感じた人もいたと思うが、ポップスの先人たちがひいた轍の上を僕は歩き続けてもう20年近くになる。長門さんはそのずっと先のほうでバンドワゴンを牽引してきた人だ。『calendar song』と『my favorite things』でライブは終了、予定時間をかなりオーバーして各所にご迷惑をおかけしましたがとても充実したイベントになりました。とても楽しかった。
パイドパイパーハウス in タワーレコード渋谷は来年1月まで。まだまだ時間があるな、と思っていると気付いたらその時が終わっていた、というのがこの世の常なのでぜひ渋谷に立ち寄る機会のある音楽ファンはタワー渋谷の5階へ。週末は長門店長自ら接客してくれると思いますし、貴重な話をたくさん伺えると思います。長門さん、タワー渋谷の皆さん、ブリッジ吉田さん、そしてご来場いただいた皆さんに大きな感謝を。ありがとうございました。


